言語化と価値づけで、子どもによい自己イメージを持たせよう
ある親子の会話
ある空港のロビーで、小学校高学年とおぼしき女の子と母親がテレビを観ていました。
観ていた番組はNHKの「おかあさんといっしょ」で、体操のお兄さん・お姉さんと20人くらいの幼児たちが音楽に合わせて踊っていました。
すると、テレビを見ていた女の子が言いました。
「子どももいろいろだよね。お兄さん・お姉さんのまねをしてすごく上手に踊る子もいれば、ぜんぜん踊らない子もいるよね。あの青い服の子なんか、ぜんぜん動かないよ。あ、動かないどころか、とうとう寝ころんじゃったよ」
それを聞いたお母さんが言いました。
「たしかにそうだよね。本当に子どももいろいろだよね。おもしろいね」
その後、さらに次のような会話がありました。
女の子「何で、ぜんぜん踊らない子もテレビに出してるのかな。ちゃんと踊れる子だけ出せばいいのに……」
母親「ほんとだ。何でだろうねえ……」
女の子「あ、そうか! わかった。上手に踊れる子ばっかりだと、テレビを観ている親がかわいそうだからじゃない? だって、テレビの子たちがみんな上手で、自分の子はぜんぜん踊れなかったら落ち込んじゃうじゃん」
母親「なるほど。テレビの中にも踊れない子がいれば、たしかに安心するだろうね」
女の子「観て落ち込むような番組だと観たくないから、視聴率も下がっちゃうじゃない」
女の子の洞察力に感服
私はこの会話を聞いていて、いくつか思うことがありました。
まず、女の子の洞察力に感服しました。
もちろん、番組を制作している人たちに聞いてみないと真相はわかりませんが、女の子の推測が合っているような気がします。
私も、親たちに安心してもらうために、「上手に踊れる子もいればそうでない子もいる。いろんな子がいていいんだよ」というメッセージが込められているのだと思いますし、視聴率のことも考えていると思います。
そのことに気づいた女の子はすごいと思います。
また、お母さんの答え方もよかったと思います。
子どもに対する共感的な受け答えができる人だと思いますし、こういう親なら子どもは幸せです。
ただ、もうひと言あるとさらによかったと思いました。
それは、子どもの望ましい行動やその子が持っているよい部分を「言語化」してあげる言葉です。
例えば、次のように言ってあげるのです。
「お母さんもそこには気がつかなかったわ。たしかにそうだよね。あなた、深いところを見抜く洞察力があるね」
言語化と価値づけが大事
つまり、子どものよい表れを「洞察力がある」と言語化してあげるのです。
言語化する前は漠然としたよい表れでしたが、言語化することでよい部分が明確になります。
同時に、それは価値のあることだと教えることもできます。
これを「価値づけ」といいます。
言語化と価値づけによって、子どもは「自分は洞察力というよい能力があるのだ」というよい自己イメージを持つことができます。
そして、自己イメージは人間が自分を作っていくときの設計図になります。
つまり、それを目指して自分を作っていくようになるのです。
「自分は洞察力というよい能力がある」と思えば、いろいろな場面でより深く考えてみるようになるでしょうし、その結果、実際にそれが伸びる可能性が高まります。
よい自己イメージを持てるようにしてあげよう
別の例を挙げてみましょう。
例えば、アニメや映画を観ていて、子どもが主人公の大変な状況に涙を流したとします。
あるいは、テレビのドキュメンタリー番組で、家族を亡くした子どもを観て涙を流したとします。
そういうとき、共感しながら「本当にかわいそうだよね」と言ってあげることはもちろん大事です。
そして、さらに言語化と価値づけのために、次のようなことを言ってあげるといいでしょう。
「あなたには人を思いやる気持ちがあるね」
「あなたは人の気持ちをわかってあげられる人だよね」
「あなたのように、人の苦しみがわかるって大切なことだよね」
このように言ってあげると、言語化と価値づけによって、子どもは「自分は人を思いやることができるのだ。それはとてもよいことなんだ」というよい自己イメージを持つことができます。
すると、それが設計図になって、それを目指して自分を作っていくようになります。
日本人は、こういうことを面と向かって言うのが苦手です。
でも、アメリカ、ヨーロッパの映画やテレビ番組を観ると、親がこういう言葉を子どもに贈っている場面がけっこう出てきます。
以前テレビで放映していた「大草原の小さな家」という番組でも、こういう台詞がたくさん出てきました。
「愛してるよ」や「大好きだよ」もなかなか言えない私たち日本人ですが、子どものために積極的に言えるようにしたいものです。
やっと宿題を始めた子に何と言うべきか?
また別の例で考えましょう。
例えば、子どもが夕食のあと2時間たったころに、宿題をやり始めたとします。
あなたは何と言いますか?
「すばらしい。自分で始められたね。それって大事なことだよね」と言いますか?
それとも、「やっとやり始めたか! 今まで散々ダラダラして……。本当にだらしがないんだから。お母さんはイライラしながらずっと待ってたよ。もっと早く始めれば今頃はのんびりできたのに」などと言いますか?
もし、前者のような言葉が多い親なら、子どもは幸せです。
というのも、言語化と価値づけによって、自分で始めることの大切さを学べますし、自分はそれができる子だと思えるようにもなるからです。
人生は思い込みで決まる
後者は、「おまえはダラダラする子だ。だらしがない子だ」と言語化してしまっています。
それによって、子どもの中に「自分はダラダラする子だ。だらしがない子だ」という自己イメージができてしまい、これがその子の設計図になってしまうのです。
否定的な言葉には、このような弊害があります。
親はよく「あなたのために言ってるのよ」と言いますが、実はまったくの逆効果なのです。
人生は思い込みで決まります。
「自分はどういう人間か」という思い込みです。
「自分はがんばれる子だ。自分はできる」と思い込んでいれば、実際にがんばれますし、できるようにもなるのです。
このようなよい思い込みを持てれば、幸せになります。
そして、この思い込みは他者の言葉によってかなり影響されます。
一番影響が大きいのは、やはり親の言葉ということになります。
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