「女の子らしく」「男の子らしく」より「自分らしく」が大事
日頃から何気なく使ってしまう「女の子なんだから……」
先日、駅の構内で、「あなた女の子なんだから、そんな乱暴なことしちゃダメでしょ!」と叱っているお母さんを見ました。
叱られていたのは、中学生とおぼしき女の子で、どうやら弟に体当たりのようなことをしたようです。
事情はよくわかりませんが、「女の子なんだから」という言い方には非常に違和感を持ちました。
これでは、男の子なら乱暴なことをしてもよい、ということになってしまいます。
でも、あらためて考えてみると、私たちは、「女の子だから」「女のくせに」とか「男の子だから」「男のくせに」などという言葉を、日頃から何気なく使ってしまうことがあります。
「女の子なんだから、そんなことしないの」
「女の子なんだから、そんな色はやめて赤とかピンクとかにしなさい」
「うちの子は女の子なのに、サッカーやりたいって言うのよ」
「あの子は女の子なのに、人形よりブロックや鉄道のおもちゃがいいんだって」
「女のくせに、あぐらなんかかいてる」
「男の子なんだから、メソメソ泣かないで」
「男なんだから、もっと大きな声で言いなさい」
「男のくせに、人形なんかで遊んでる」
「あの子、男の子なのに、裁縫や折り紙が好きなんだって」
「もっと男らしくしなさい!」
無意識のうちに封建主義を引きずっている
こういう言葉の裏には、「女の子は女らしく、男の子は男の子らしく育てなくてはならない」という思い込みがあります。
「女の子は静かで控えめで、優しくてかわいらしい。男の子は元気で行動的、強くてたくましい」という思い込みです。
このような思い込みの土台にあるのは、何百年も続いたかつての封建主義的な考え方です。
それを21世紀の今になっても、無意識的に引きずっているのです。
もう、そろそろ、そういう思い込みから抜け出したいものです。
本当はもっと大きく羽ばたけたはずなのに
「女の子なんだから、そんなことしないの」と言われて育った子は、どうなるでしょうか?
やりたいと思ったことがあっても、自分でブレーキを踏んでしまうかもしれません。
本当はもっと大きく羽ばたけたはずなのに、ちょっと飛んだだけでやめてしまうかもしれません。
「女なんてつまらないな。女の子は、やりたいと思ったことをやってはいけないんだ」と考えるようになってしまうかもしれません。
すると、女の子であるというだけで自分に対する自信も持てなくなり、将来への夢もしぼんでしまいます。
「うちは女の子だから、ブロック、積み木、自動車や電車のおもちゃより、○○や□□を買ってやろう」と考える親がたくさんいます。
空間認識が苦手で図形問題に苦労する女の子が多いのは、それが原因だという説もあります。
一方、「男の子なんだから、メソメソ泣かないで」と言われて育った男の子は、どうなるでしょうか?
「男は泣いたらダメなんだ。正直な気持ちを出してはいけないんだ。すぐ泣いてしまう僕は弱くて情けない子だ」と考えるようになってしまうかもしれません。
「男のくせに」と言われてしまったことで、刺繍や裁縫、料理が好きで才能があったのに、十分伸ばせないままになってしまうかもしれません。
これでは、自分らしい人生を生きることはできません。
人は誰でも「一人の人間として」存在している
本当は、「男らしく」や「女らしく」ではなく、どの子も「自分らしく」生きられるようにしてあげることが大切です。
どの子にも生まれ持った自分らしさがあります。
どの子にも好き・嫌いや得意・不得意というものがあるのです。
ですから、その自分らしさを活かしながら伸ばしてあげてください。
杉の木はひたすらまっすぐに伸びたいのであり、松の木はあちらこちらに曲がっていきたいのです。
松の木を杉の木のようにしようとすると、親子で苦しむことになります。
杉の木は杉の木として育て、松の木は松の木として育てましょう。
女の子があぐらをかいても、男の子がめそめそ泣いてもいいじゃないですか。
男の子が人形で遊んでも、女の子が戦いごっこをしても、何ひとつ問題はありません。
人は誰でも、「女性の一人として」「男性の一人として」などという形で存在しているわけではなく、「一人の人間として」存在しています。
どの人も自分らしく存在すれば差別も生まれません。
「女の子らしく」とか「男の子らしく」という言葉で、「自分らしさ」を伸ばすのを妨げないようにしてほしいと思います。
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