弱者の戦略「一点突破」が最強な理由
鳴かず飛ばずの小学生時代
私は小学生のとき、勉強が得意とはとても言えないような子どもでした。
おまけに運動も音楽も苦手でした。
それで、子どもながらに、小学校を卒業するとき「このままじゃいけない。よし、中学に入ったら英語だけはがんばろう」と決意したのを覚えています。
当時、私の同級生で英語を勉強している子はいなかったので、中学1年生でみんなゼロからのスタートでした。
ですから、「これはチャンスだ」と思ったのです。
勉強が得意なO君やMさんも、勉強が得意でない自分も、みんな一緒のスタートラインで「用意、ドン」といっせいに走り出すわけですから。
自分の場合は普通にやっていたら勉強ができる子にかなわないけれど、全エネルギーを英語だけに集中すれば、いい線までいけるのではないかと考えました。
英語だけに集中して一点突破
中学生になり、いよいよ英語の授業が始まりました。
英語の教科書は、「a pen」「a desk」「This is a pen.」「This is a desk.」から始まったと記憶しています。
英語の授業中は、先生の話を一言も聞き漏らさないという意気込みで臨みました。
家では英語の教科書を何度も音読して丸暗記したり、習った単語をノートに何百回も書き写して覚えたりしました。
その結果、1年生の1学期末にもらった成績表では、英語の成績が10段階の8でした。
私はまあまあ満足でした。
それ以降も自分なりに努力を続けた結果、2学期の成績は9になり、3学期にはとうとう10になりました。
この9や10という成績はとてもうれしかったです。
なぜなら5段階で言えば5だからです。私は、小学生時代の5段階の成績では、一度も5を取ったことがありませんでした。
ですから、これは人生初の快挙だったのです。
そして、中学を卒業するまで、英語ではずっと10を取ることができました。
自信がついたおかげで楽しく過ごせた中学生時代
英語の成績がよかった反面、私は数学と理科が大の苦手でした。
特に数学は、何が何だか全くわからないというレベルでした。
中学1年生の最初に教わった「マイナス2とマイナス3をかけるとプラス6になる」というのが、どういうことなのかさっぱりわかりませんでした。
そして、次に出てきたルート(√)でとどめを刺されて、数学については早々にギブアップしてしまいました。
その後も高校を卒業するまで、数学の時間は脳のスイッチがオフになっていた感じです。
国語、社会、図工などはまあまあの出来でしたが、体育と音楽も苦手でした。
部活動はテニス部に入りましたが、当然ながら下手でした。
こんなさえない私が、多感にして疾風怒濤の中学時代の3年間を、けっこう楽しく過ごせたのは、英語のおかげだったと思います。
「英語なら負けない」という自信だけが私を支えていました。
周囲から「英語の天才」と呼ばれるようになったのもうれしかったです。
また、今も覚えているのは卒業式でのことです。
校長先生から一人ずつ卒業証書を手渡されたのですが、そのとき、榊原校長先生が「英語が黄金の左腕だね」と言ってくださいました。
これがとてもうれしかったです。
当時、大相撲で輪島という力士が活躍していて、左腕で投げるのが得意なので「黄金の左腕」と言われていたのです。
「これには自信がある」と思えるものを持てるように
このような経験から、私は、何かひとつでもいいから子どもが「これには自信がある」と思えるものを持てるようにしてあげることが本当に大切だと思います。
それは勉強でなくても大丈夫です。
何かひとつでもあれば、自信になり、生きる支えになります。
何かに自信を持つことは、子ども本人が好きなことや得意なことを親が応援してあげることで可能になります。
親がやらせたいことではなく、子ども本人の方向性を大事にしてあげてください。
親の価値観を優先してしまうと、大抵失敗しますから気をつけてください。
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