成績主義がもたらすもの
成績主義・能力主義には弊害が多い
以前、某進学塾の様子を見学したことがあります。
そこはスパルタ式の成績主義・能力主義で、教室も座る席も成績順に決まります。
つまり、一番成績がよい子どもたちはA組、次がB 組、というようにクラス分けされているのです。
そして、A組の中でも一番成績のよい子たちが教室の最前列に座ります。
教室の壁には「勝ち上がれ」「負けていいのか」などと大きく書かれた紙が貼られています。
子どもたちの会話に耳を澄ますと、「前回は○○君に勝ったけれど、今回は負けた」といった勝ち負けの話ばかりです。
とにかく成績を上げて実績を上げようという塾の方針なのですが、こういうやり方は成長途上の子どもたちには弊害が多いのです。
優越感によって得た自信は危険
例えば、成績が悪い子どもは大きな劣等感に支配されます。
反対に、成績がよい子は優越感を感じて自信を持つようになります。
けれども、こうした優越感によって得た自信には危険な部分があるのです。
なぜなら、優越感の裏返しは劣等感だからです。
優越感によって自我を保っている人は劣等感に襲われるのが怖いので、常に優越感を感じていたいと思うようになります。
その結果、自分より下の人には必要以上に威張るようになります。
そして、同時に自分より上の人に対しては劣等感に襲われて卑屈になります。
意識の中には、常に「できる・できない」「勝ち・負け」「強い・弱い」「上・下」の二分法があり、それが全ての判断の基準になってしまいます。
貧困や失業で困っている人たちは「努力が足りない」から?
単純な二分法だけで物事を見てしまう人は、大人の職場にもいます。
上に弱く下に強い人です。
強いものにへつらい、弱いものに威張ります。
権力に弱く、自分も権力のある立場に立ちたがります。
そして、やたらと上下関係にこだわります。
さらに弊害を挙げると、「成績が悪い子や能力がない人は努力が足りないからだ。社会の中で貧困や失業などで困っている人たちも、みんな努力が足りないからそうなるのだ」という発想になってしまう可能性があることです。
子どものときから「成績を上げろ。能力を上げろ。結果を出せ。そのためには努力しろ。成績が上がらないのは努力が足りないからだ」と言われ続け、刷り込まれ続ければ、そういう発想になってしまう可能性はどうしても高まります。
でも、実際の世の中はそんなに単純なものではないわけです。
能力主義的・自己責任論的な発想にならないために
社会で困っている人たちは、生まれた家庭の事情、育ってきた経過のさまざまなできごと、社会システムや政治・行政の不作為など、複雑な要素が入り交じってそうなっているのです。
極端な能力主義的・自己責任論的な発想に陥ってしまうと、他人のバックグラウンドに想像がおよばず、理解できない、あるいはわかっても手を差し伸べない、そういう大人になってしまう可能性があるのです。
これでは、いくら勉強ができても人間的にはどうかと思います。
困るのは、社会の指導的な立場に立つ人たちがそういう発想の人に占められてしまうことです。
もう既にそうなっているようにも思えます。
子どものときから、行きすぎた成績主義・能力主義で育てないように気をつけてほしいと思います。
親野先生 記事一覧
オススメ記事
記事一覧
お近くのTOMASを見学してみませんか?
マンツーマン授業のようすや教室の雰囲気を見学してみませんか?
校舎見学はいつでも大歓迎。お近くの校舎をお気軽にのぞいてみてくださいね。