「人生万時塞翁が馬」。受験の失敗も、長い目で見ればよいこと
「塞翁が馬」の故事
「塞翁が馬」という故事があります。
中国前漢時代の書『淮南子』(えなんじ)に出てくる話で、私はとても気に入っています。
少し長いですが、意訳して引用します。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
砦の近くに住む、占いが得意なおじいさんがいた。
ある日、突然、その家の馬が隣の胡という国に逃げてしまった。近所の人々はみんなおじいさんを気の毒に思ってなぐさめた。すると、そのおじいさんは、「これがどうして良いことにならないと言える? いや、きっとそうなる」と言った。
数カ月後、逃げた馬が胡の駿馬を連れて帰ってきた。人々はみんなおじいさんを祝福した。
すると、そのおじいさんは、「これがどうして災いにならないと言える? いや、きっとそうなる」と言った。
その家では、立派な馬が増えた。おじいさんの息子は乗馬が好きだったが、乗馬中に落馬して太ももの骨を折ってしまった。人々はみんなおじいさんを気の毒に思ってなぐさめた。
すると、そのおじいさんは、「これがどうして良いことにならないと言える? いや、きっとそうなる」と言った。
1年後、胡の大軍が砦を攻めた。丈夫な若者は弓を引いて戦ったが、砦の近くの人は10人中9人が亡くなった。ところが、おじいさんの息子は足が不自由だったので、父子ともに無事に生き延びた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ということで、福は禍となり禍は福となる。
その変化は見極めることができない。
その奥深さを測ることはできないのだ。
受験に失敗してセールスマンになる
この話を初めて知ったのは大学生のころでしたが、自分のことと引き比べて本当にそうだと思いました。
私は大学受験で全敗して、大学に行くのをやめようと思いました。
それで、本が好きだから本に関わる仕事をしようと思い、親に相談することもなく、勝手に本のセールスマンとして就職しました。
事業所や民家などに飛び込み営業をして本を売る仕事です。
この仕事のおかげで度胸がつきましたし、相手の様子を観察しながら対話する技術も学びました。
これは、のちに先生の仕事をするうえで大いに役立ちました。
苦しい経験が後に役立った
その後、やはり大学に行きたいと考え直して、3カ月でその会社を辞めて受験勉強を始めました。
もう7月ごろになっていたので、いまさら予備校に行く気も起きず、自宅で勉強することにしました。
自宅浪人、つまり宅浪(たくろう)です。
ところが、これがまずかったのです。
家族も仕事や学校に出かけますので、私は自宅で一人勉強していました。
すると、だんだん精神的に変調を来し、先端恐怖症と対人恐怖症になってしまったのです。
先端恐怖症とは、とにかく尖ったものが怖いのです。
刃物やハサミはもちろん、鉛筆や箸も怖いのです。
それで、受験勉強中なのに鉛筆が持てなくなってしまいました。
さらに、手を何度も洗う、水道を止めたか何度も確かめる、ガスの元栓をしめたか何度も確かめる、玄関の鍵をしめたか何度も確かめる、火を消したか何度も確かめる、などの強迫性障害も出てきました。
それで、とうとう耐えられなくなって、精神科の病院を受診しました。
やっとの思いで病院にたどり着いて、なんとか医者に症状を話しました。
ところが、医者には「そんなのは病気じゃない。さっさと帰れ」といとも簡単に突き放されてしまいました。
どうしようもないので、受験勉強はそっちのけで、自分で森田療法の本を読むなどしました。
この経験は大変苦しいものでしたが、やはり後になって大変役立ちました。
というのも、その後、知人や同僚で同じような状態になる人が何人かいたのですが、彼らの話を共感的に聞いたり、ちょっとしたアドバイスをしたりすることもできたからです。
1年目の大学受験に成功していたら、素晴らしい友人と出会えなかった
そのような勉強どころではない苦しい状態が続きましたが、受験シーズンになったのでとりあえず受験したら、なんとか合格しました。
それで、大学に通い始めたら、そこで素晴らしい友人と知り合うことができました。
彼はちょっと類を見ないような読書家で、既に大量の本を読んでいました。
読む本は古今東西の古典や名著が多く、しかもその内容をよく記憶していて、会話の中にどんどん出てくるのです。
これには圧倒されて、ものすごい刺激を受けました。
私も本はけっこう読んでいたつもりでしたが、彼に比べると質量共にはるかに劣っていました。
それで、以前より読書に真剣に向き合うようになりました。
特に読む本の質をよく考えるようになりました。
そのおかげで、大学生時代に質の良い本をけっこう読むことができました。
それは、その後の教師としての仕事だけでなく、自分の人生を生きるうえで大いに役立ちました。
この後もいろいろあるわけですが、きりがないので割愛します。
ここまで見ただけでも、「塞翁が馬」の故事のようなことが実際に起こっています。
つまり、私が1年目の受験に成功して大学に合格していたら、セールスマンの経験はできませんでした。
ということは、度胸がつくこともなく、相手の様子を観察しながら対話する技術を学ぶこともなかったわけです。
自宅浪人をして先端恐怖症、対人恐怖症、強迫性障害などを経験することもありませんでした。
まあ、そのほうが良いとも言えますが、そこからの学びもなかったわけです。
そして、大学で素晴らしい友人と知り合うこともなかったわけです。
そうなると、大学時代の読書ももっといい加減なものになっていた可能性は大きいということになります。
受験の失敗も、長い目で見ればよいこと
ということで、「人間万事塞翁が馬」なのです。
みなさんのお子さんにおいても、また自分自身においても、「人間万事塞翁が馬」なのです。
受験が思うようにいかなかったとしても、長い目で見れば、それは決して悪いことではありません。
故事の中のおじいさんのように、「これがどうして良いことにならないと言える? いや、きっとそうなる」と思うようにするとよいと思います。
大事なのは、目の前のことにとらわれるのではなく、長い目で見ることです。
例のおじいさんと近所の人々の違いもそこにあります。
しかし、子どもが自分の人生を長い目で見ることは不可能です。
せめて大人は、長い目で見て大きく構えていましょう。
大人が子どもと同じように近視眼的になってしまわないように、気をつけてください。
親野先生 記事一覧
オススメ記事
記事一覧
お近くのTOMASを見学してみませんか?
マンツーマン授業のようすや教室の雰囲気を見学してみませんか?
校舎見学はいつでも大歓迎。お近くの校舎をお気軽にのぞいてみてくださいね。