2020.9.2

第 2 回

桜 蔭 VS 女子学院

優等生文化の桜蔭、
個性文化の女子学院
~制服から出口戦略まで
相当異なる両校の文化~

森上教育研究所 所長 森上展安氏

そもそもルーツが異なる2校

桜蔭は「蔭」の一文字がついているように旧師範系の生い立ちの学校です。
一方、女子学院は築地の居留地のA六番女子校を発祥としている通り、最初期からのキリスト教主義の教育校です。後に別の女学校と合併して現在の女子学院になります。
桜蔭は関東大震災で被災した桜蔭会(女子師範同窓会)寄宿舎の跡地を校地として、また、女子学院は明治中期にキリスト教系2校が合併して、各々校史を刻み始めます。
女子学院は矢嶋楫子というユニークな女性が初代校長でその人格が校風を作ったと思われます。桜蔭はお茶の水の同窓会が作りました。ルーツは女子師範ですから、そもそも女子師範は女子の「学校」を作るにはまずは女子教員を養成せんとして設立されたわけですね。その同窓会立ですから先生の鏡のようなタイプの先生方であり、文化になるでしょう。

英語教育がいわば
お家芸の女子学院

現在は「女子御三家」と巷でいいますが、もう1校の雙葉がカトリック校であり、また、小学校、幼稚園なども併設しているように、中高一貫校のみの桜蔭、女子学院とは少し学校の有り様が異なります。
女子学院の前身のA六番女学校の頃は英語教育の塾というおもむきが強かったようですが、女子学院として統合された時はまさに女子にリベラルアーツ&サイエンス(教養)をおしえる学校の体裁を整えました。もちろん当時としては画期的で開校時から大変な人気だったようですし、ひるがえってそのような女子教育を受けたOBは我が娘も入学させようとしたわけですし、そのような女性を伴侶として迎えることを尊ぶ男性も相応に多かったことになります。
やっと今の学習指導要領は英語を英語で教えるように決められましたが、英語教育法についてはプロテスタント校のいわばお家芸で、女子学院は当初から英語を英語で指導していました。

桜蔭のカリキュラムは
オーソドックスさが売り

この点、桜蔭は英語の時間が中学で4時間とさすがに国立大付属の流れもあって、カリキュラムには女子学院のようなユニークさはなく、むしろオーソドックスが一番の売り。桜蔭のオーソドックスさはヒドゥンカリキュラム(隠れたカリキュラム)にもあらわれていて、運動クラブはすべて課内活動として行われています。世間では課「外」活動が一般の運動クラブの有り様ですが、桜蔭は体育の時間内(課内)でバレー、バスケットなど一通りやるのです。加えてあの独特のあの制服は博物館入りのスタイル(失礼)ですね。
対して女子学院はどうでしょう。こちらは基本私服です。それはそうですね。片や先生をつくる模範的な学校、片やキリスト教主義で人格を重んじる教育。もちろん桜蔭も中等教育ですから人格形成が主眼ですが、両者のアプローチはその学校文化にみるように実は相当に違うのです。
近年は必ずしもそうとばかりとは限りませんが、併願校が2日に白百合、3日に鷗友、5日に頌栄とキリスト教系の併願校がある女子学院に対し、桜蔭は伝統的な学校文化なので豊島岡女子、吉祥女子が主な併願校になります。

桜蔭は理系が多く、
女子学院は文系が多い

また、帰国子女と相性がよいのは――ご想像がつくと思いますが――女子学院ですね。
文理の進路についても桜蔭が理系が多く、女子学院は文系が多い、という(近年は女子学院も理系が増えてきましたが)特徴があります。
しかし何といっても高い資質を有している女性の先生が多い、という共通点があります。男性の先生はほとんど見かけません。優等生文化の桜蔭、個性文化の女子学院にあって男子教員の入り込む余地はないかもしれません。

女の腕一本?
両校の出口戦略の違い

最後にーーーここで書くべきか悩みましたが……。
両校の学校文化の違いについては何となくおわかりいただけたと思いますが、その出口戦略の違いについてはご想像がつくでしょうか。
今となっては当たり前というべきかもしれませんが、桜蔭はいわば女の腕一本で生きていけるという戦略をとり、女子学院は離婚しても我が道を生きていけるという戦略だと筆者はみています。