心配する母を娘が励ます…
一家のリーダーは受験生
合格判定20%から桜蔭合格を勝ち取れたワケ
桜蔭中合格
田村 裕子さん(仮名)
田村家の受験は、裕子さんが主人公兼リーダー。「勉強のことには口を出さないようにしていました」と振り返るお母様の言葉通り、学習内容から受験校に至るまで、そのほとんどを裕子さんが自分で決めた。「TOMASの授業も、模試の結果を見て『この単元を復習したい』と自分からお願いしていました」(裕子さん)
中学受験をすることになったきっかけは、小3の時に見たドキュメンタリー。中学受験の密着ドラマを見て、「かっこいい! 私も受験したい」と、すぐにTOMASで受験勉強を始めた。勉強時間やスケジュールも自分で管理。コロナ禍で自宅学習が増えると、勉強時間を記録できるアプリを使い、「今日は○時間勉強したよ」と毎日報告することで心配していたお母様を安心させた。
模試の合格判定はほとんどの学校が最後まで20%だったが、過去問の点数を信じて受験を決めた。1月受験が始まり併願校が不合格になっても、「次がある」「どの学校も受けてみるまでわからない」ととことん前向き。心配したお母様が声をかけた時も「今さら悩んだってしょうがないよ」と逆に裕子さんが励ました。不安なことはなかったのかと尋ねると、「努力が報われる瞬間はいつ来るかわからないので、もし今回がダメでも、叶ういつかを待ってみればいいかなと」(裕子さん)。達観した答えに、「勤勉・温雅・聡明であれ」という桜蔭中の校訓が自然と重なった。
お母様に一問一答
受験中の印象的なエピソードは?
5年生のときにした親子ゲンカです。ついつい心配で「勉強したの」と声をかけていたら、「言われなくてもやってるから勉強のことには口を出さないで」と娘に言われました。そのときに「具体的なアドバイスができないなら言うのをやめよう」と思い、それ以来一切口を出さないようにしました。何も言わないのも辛かったです(笑)。
併願校選びの基準は?
基本的には本人の希望を尊重しました。コロナ禍で学校見学に行けなかったので、職場の人に話を聞いて娘と共有したりはしていました。
合格発表を最初に見たのは?
TOMASの担任の先生です。「受かってましたよ」と電話がかかってきたので、嬉し泣きしながら娘に連絡しました。
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